人口と日本経済

経済の新書をチマチマと読んだ。知らないことがたくさん書いてあったことに加えて著者の意見が分かりやすく、面白かった。

●感想:
経済は人間の主観(価値を感じること)によって規定される。
⇒価値を感じるモノ(サービスを含む)が相対的に増えれば経済は成長する。
⇒基本的な生理的欲求に基づく価値(需要)には限界があるため必ず飽和する。基本的な生理的欲求を超えるモノや、それとは関係のない多様なモノを作り出す必要がある。
⇒人口ではなく、イノベーション(単なる技術革新のことではない。価値の多様化およびそれに対応したモノの種類や総量の増加)が経済規模を規定する。

●内容のメモ:
(1)エネルギーの全体量は人間が何をしても不変だが、経済は成長していく。これは経済的価値が人間の主観に基づいているからだ。理工系の教授にしてみるとこれは不思議なことらしい。
(2)過去の経済学者は豊かになれば人口が増えると想定していた。しかし、歴史を振り返れば、豊かになったからといって人口が増えるわけではない。19世紀末にはすでにヨーロッパにおいて所得水準があがると出生率が低下する傾向が確認されている。
(3)近年の日本以外にも人口が減少した時期は世界各地に存在した。古代のギリシア(ローマ)においても、戦争や疫病があったわけでもないのに都市部の人口が減少したことが記録されている。紀元前2世紀半ばに生きたポリビオスという人物が当時のギリシアについて書き残した文章が引用されている。「現在では全ヘラス(ギリシア)にわたって子供のない者が多く、また総じて人口減少がみられる。そのため都市は荒廃し、土地の生産も減退した。しかも我々の間で長期の戦争や疫病があったというわけでもないのである」これを受けて村川さんという西洋古代史の研究者が次のように言っている。「人口減少のわけは人間が見栄を張り、貪欲と怠慢に陥った結果、結婚を欲せず、結婚しても生まれた子供を育てようとせず、子供を裕福にして残し、また放縦に育てるために、一般にせいぜい一人か二人きり育てぬことにあり、この弊害は知らぬ間に増大したのである」
(4)日本人の平均寿命は、70年前には50歳程度だった。乳幼児の死亡率は、70年前にはまだ1割以上もあった。
(5)生物学的には、心臓が15億回拍動する時期に動物は死ぬ。ゾウとハツカネズミの寿命は大きく違うが、いずれも心臓が15億回拍動するころに寿命を迎える。それになぞらえて考えると人間の寿命は42歳程度。80歳を超える平均寿命は、生物学的な限界を超えているかもしれない。
(6)江戸自体は経済が停滞していた。この時期の江戸住民の人骨を研究すると、日本のあらゆる時期の中で一番、身体のサイズが小さく、栄養状態も悪い。

アフガニスタンに水路をつくった中村医師

先日ひさしぶりに一人で、ニュース以外のテレビをみた。いつもは子どもか妻がつけている番組を一緒にみるだけである。

アフガニスタンに用水路をつくった医師の話だった。ペシャワール会というNGOが資金を出してバックアップしているようだ。現地に医療にいったものの、水がないから救えない。食料がないから治らない。当時の現地では用水路をつくることこそが医療だ、と思ったらしい。

土建業の経験ゼロで用水路をつくってしまったことは驚きだったが、感動したのはそこではない。実際に用水路をつくって水をひくと、干上がっていた大地が、見事によみがえっていたことに感動した。稲刈りもできるようになっていた。用水路を引く前後を、鮮明にみたことはなかった。ものすごい変化だ。

それともう1つ感動したのは、用水路の後、現地にモスクをつくる話が持ち上がった際、そのことの方が用水路よりも現地の人たちには喜ばれた、という中村医師のコメント。「これで解放された」と現地の人が言ったらしい。「自分たちの文化を否定されるような抑圧からの解放」ということらしい。自分には想像の及ばない、深い信仰があることを知らされた。

水を飲む。神に祈る。どちらも人間には欠かせないものだと思う。自分は水の方が重要だと思うが、ただ生きるだけでなく、人間であるためには、祈ることの方が重要なのかもしれない。

日本政府の「ワーク・ライフ・バランス」は分かりにくい・・・。


ワーク・ライフ・バランス。なんだかよく分からない言葉だ。
直訳すると「仕事と生活の釣り合い」もしくは「仕事と生活をつりあわせること」となる。
日本政府によれば「仕事と生活の調和」となる。

なぜいま、これを、日本政府が掲げて推進する必要があるのだろうか。
そんなことは昔から必要なことで今更いうべきことではないのでは。

気になったので調べてみると、政府としては「個人の状態」ではなく
「社会のあるべき姿」として「ワーク・ライフ・バランス」を掲げているようだ。
http://www.gov-online.go.jp/tokusyu/201302_02/sitte/#anc02
でも、具体的に何がしたいのかはハッキリせず、よく分からない。

当然だが、仕事と生活にどのように折り合いをつけたいかは、各個人や集団の価値観によって変わる。
若いうちに寝る間を惜しんで働いて蓄財したい人もいれば、仕事に全力を傾ける日々を空疎に感じて、毎日一定の余暇を確保したい人もいる。勤務時間の長い多い会社/業態もあれば、少ない会社/業態もある。家庭状況によってももちろん変わる。

それぞれの個人、それぞれの状況に応じて、それぞれの幸福がある。

各自の価値観や状況にあわせて個人が調和をとった方がいいのは当然で、政府が声高に言うことではない。それは当たり前のことだ。しかし、各個人が仕事と生活の調和を図ろうとしたときに、それを抑制する社会はあまりよろしくない。だから仕事と生活の調和が大事ですよー、と改めて政府が告知しているということだろうか。

もしそうだとしたら、その予算を、幼児教育と介護の現場で働いている人たちの待遇改善に向けた方がいいと思うなぁ・・・。

ほめると子どもはダメになる

ほめると子どもはダメになる (新潮新書)

ほめると子どもはダメになる (新潮新書)

久しぶりに本を読んだ。

納得の内容だったので記録しておく。

ほめられたからといって自己肯定感が強くなるわけではない、という話には特に納得。

自己肯定感を得るには、他人に褒められるかどうかではなく、自分自身が納得することが一番重要。自分自身を納得させるには限界まで努力をしなくてはならず、だから何事も自信をつけるのは簡単な作業じゃない。誰もみていなくても自分が何をしてきたか、自分のしていることが他人に誇れるものかどうか、それは自分が一番わかっている。自分の心をごまかすことはできない。「おてんと様」がみているとはそういうことだと思う。脱線。

少し古いノンフィクションを2冊

ソニーが挑んだ復讐戦―日本再建の軌跡

ソニーが挑んだ復讐戦―日本再建の軌跡

ソニーの生の姿が描かれていて、とても面白かった。
いいことばかり書いている本ではないところが面白い。


山一証券がつぶれたときの実話をもとにしたノンフィクション。
「そんなことあるの?」と目を疑う事実が書いてある。
「組織という実態のないもの」を
「なんとなく信用し続ける」と
この本に書いてあるようなことが起きてしまうのだと思う。

アップル社の横暴

 アップル社の横暴に耐え切れなくなったサプライヤーがアップル社を訴えた。
 
 [訴え提起の文書 http://www.shimano-inc.com/prss_rls/prss_rls_20140912.pdf]


 組織やブランドを信用してはならない。
 局面局面で、やりとりしている個人の仕事、個別の製品の品質などを見極めることが重要。