朝青龍の引退に日本武道のわかりにくさを思う

朝青龍が引退した。残念な事件だ。


相撲界の矛盾がもっと表に出てくるよう、もっと長い期間、活躍して欲しかった。


相撲は、分かりにくい競技だ。横綱とは何か。親方とは何か。相撲協会とは何か。などなど・・・。



私は剣道をやっていた。でも、「わかりにくさ」が嫌になって辞めてしまった。


剣道は強さを追求したいのか、形式美を追求したいのか。
武道なのか、剣術なのか。


考えれば考えるほどわからなくなってくるのが剣道だ。人によって答えは自由だから、自分で意味づけを与えなくてはならないのが剣道だ。試合の「一本」の判定も、人間が目視で「雰囲気(気合とか残心とかいわれる)」を加味して決めるから、頻繁に間違いがあるのが剣道だ。


その曖昧さゆえに、議論ができない。強さも比較できない。試合結果に納得いかないことも多い(特に自分の仲間や先輩が全く納得のいかない判定で一本負けしたときはかなり腹立たしい)。そういった部分にやりきれなさを感じて、競技としての剣道は辞めてしまった。形式は嫌いじゃないし体に染み付いているから、いまでもたまに木刀を素振りすることはあるけれど。



朝青龍も似た心境じゃないかと思う。正直「分かりにくい仕事を辞めることが出来てスッキリした・・・」という気持ちも少なからずあるんじゃないだろうか。


高校時代から親元を離れて、苦労して日本社会になじんで、単調な稽古を積み重ねて、誰にも明らかな強さを身に着けて横綱になった。なのに、なぜかメディアからは批判ばっかりされる。一番強いのに、「横綱にふさわしくない」と言われる。


分かりにくい。明らかに分かりにくい。
強さ以外に横綱の資格要件があるのなら、最初から定義しておけばいいのに。


そもそも「言動が品格にかける」ことが問題なら、横綱の資格要件に「品格ある行動をとること。もし品格に欠ける行動をとった場合、降格処分とする」とかなんとか決めてしまえばいい。


朝青龍のことを「相撲に対する敬意が足りない」と評した人がいるけれど、そもそもそれ以前に、相撲協会の理事たちがだらしないのだ。相撲という競技をどう定義したいのか、どこに導きたいのか、誰もハッキリとした答えをもっていないのではないか。だから具体的な制度による改善が行われないのではないか。相撲協会の理事を務めている親方たち態度の方が、むしろ朝青龍の言動よりも相撲に対する敬意を欠いているんじゃないのか。自分たちの後輩である現役の横綱を守ることも罰することも出来ないで、責任から逃げ続けて、一体何が「親方」、何が「理事」なのだろうか。


ここ数年、朝青龍をめぐって、相撲の世界全体の残念な部分がさらけ出され続けたと思う。朝青龍にはもう少し続けてもらって、どんな形であれ、相撲の世界が変わるきっかけをつくって欲しかった・・・。


残念だ。