政治家の役割の変化〜利益の分配から負担の分配へ〜

 21世紀になり、日本の政治家、特に国会議員の役割は、かつての「利益の分配」から「負担の分配」へと変化している。これにともなって、国会のあり方を変える必要があるだろう。

 かつて、戦後復興から高度経済成長の時代は、富が増える時代だった。全体の富(利益)が増加していくなかでは、各地方から選出された国会議員たちの役割は「増加した富の中から、いかに多くを地元に持ってくるか」だった。それが地元に評価されたし、政治家の権力の源になっていた。

 しかし人口減少時代を迎えた今日の日本では、もはや全体の富が増加することは難しい。全体の富が増えないから、地方に分配される富も増やせない。そうなると、過去の国会議員にとって主要な役割だった「地元への利益誘導」は自然と困難になってくる。もちろんそういった側面が無くなるわけではないが、重要性が薄れる。

 今後は、目の前に山積する問題に対し、如何にみんなで負担しあっていくか、つまり負担の分配が重要課題になってくる。

 要するに過去の国会は「利益を分け合うための協議の場」だったが、今は「負担を分配するための協議の場」になっている。

 しかし、負担を分配する場として考えると、国会で審議する内容(中央官庁で政策決定する内容と中央官庁の権限)は幅広すぎる。かつ、各議員は各地方の利益を背負って出てきているので、基本的に自分の地方の負担を増やしたくはない。このため、議論が散逸・錯綜してしまう。おおざっぱに捉えると、そういった理由で、実質的に現在の国会は制度破綻している。

 国会が国会としての機能を果たすには、国会で審議する内容(中央官庁の所管業務の範囲)を「日本全体の最適化を如何に達成するか(いかに負担を分配するか)」に絞るべきだ。国会議員は「地方の利益の代弁者」としての機能よりも「国家の全体最適を考える存在」としての機能を強める必要がある。そして、そうしようと思うと、中央官庁の権限を地方に移譲して(国会議員の直接の影響範囲から地方を切り離して)地方のことは地方で自律的に処理できるようにしていく必要がある。これがいま「道州制」が必要な理由だ。

 また、負担の分配は多人数で議論しても結論を出せないことが多い。負担の分配を実行するときは得てして強力なリーダーシップが必要だ。だから、地方の首長選挙が盛り上がっている。強い首長が誕生すれば、負担の分配(将来を見据えた全体最適)が進行しやすくなる。

 真面目に考えれば考えるほど国会議員選挙や国会議員の活動に実効性を感じられないのは、制度破綻しているからだと捉えれば納得ができる。特に、所属するコミュニティの権益を代表する立場にない自分のような若年層にとっては、未来を見据えた全体最適を追求する機能が弱い現在の国会のメンバーを選ぶ選挙というものに関し、実効性を感じることは難しい。一方で、知事選挙には実効性を感じる。それは、知事次第で明らかに行政の成果が異なっているからだ。首長が成果を出す事例が目立つのは、国会議員になる人より首長になる人が優秀だからではなく、首長(地方自治)という制度の方が、国会の制度よりもいまの時代の要請に合致しているからだろう。

…このように考えると、日本の歴史、経済、政治、選挙に関する自分の感覚につながりを見出すことができて、スッキリまとまる。